時空を超え、時間を忘れ、古を知る。~九州・長崎県~

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戦争を知らない世代。だからこそ伝えたいことがある。

私は戦争を知らない世代です。

20代のちょうど真ん中。

でもここにフォーカスしたのは、ただただノスタルジーに浸りたいからではありませんでした。

魚雷発射試験場跡

			
戦争遺跡、戦争遺産、戦時遺構 etc...


今回は、九州は長崎県川棚町にある魚雷発射試験場跡を中心に巡ってきました。


そこは人が時間を強制的に止め、時空もそれに従うように留まっているような場所でした。

魚雷発射試験場跡

何故ここに造られたのだろうか?

自然が豊かで穏やかな場所というのが降りた時の率直な感想。田舎だなと…。

そんなところにも戦争の時代がありそれが残っているのかと思った。


その廃墟(というのは失礼かもしれないが…)を見たときに

佐世保が近いからというのは理由の一つとすぐにわかったが、まず見たときに不思議に思った。

でもなぜここでないといけなかったのか。


次に紹介する「特攻殉国の碑」というのがあるのだが、その資料館に置いてあったパンフレットによると、


波が比較的穏やかということ、海が深かったという事があるとのこと。

そして佐世保に近かったということもやはり理由の一つにあるようだった。

監視所

			
この場所は1918年に開設。

太平洋戦争時は当時海軍の重要な軍事施設だったという。


ここでは、魚雷の最終検査や調整などをしていたのではないかと言われているようだ。

そして魚雷発射の状況を記録し、確認するための観測所もある。


そこで合格になった魚雷は船で佐世保鎮守府に送られていたようだ。


ちなみに、魚雷を作る作業は24時間休むことなく3交代制で行われて降り、中学生や女学生も魚雷に使われる部品などを作っていたようである。

発射試験には動員学徒や挺身隊員たちが尽力したとそのパンフレットに記されていた。

魚雷発射試験本部跡

聳え立つ一本の樹
魚雷発射試験場本部跡は写真を見てもらえればわかるが、屋根がなく一本の大きな樹が聳え立っている。

まだ陽が高く写真には向かないかな?と思ったがどうも惹かれてしまい待ちに待ってこれらを撮っていた。


発射場跡も引き込まれるように撮り続け、座って目を瞑ると風が時空を超えさせ当時を思わせてくれるような素敵な空間へと変わる。


何を想い、どのような気持ちでこの海を見つめていたのだろうか?


それぞれ大切な人がいたに違いない。

魚雷を打ち込む先の人たちにも間違いなく大切な人がいたに違いない。


もちろんその当時はそのように思う間もなかったのであろう。

でも眠る前や食事中…そんなときに考えることもあったのではないかと思う。


愛する人のことを。

特攻殉国の碑(川棚魚雷艇訓練所跡)

この碑の横に小さな資料館がある。

そこにある資料本の一ページ目に私は心を惑わされるものがあった。

資料の1ページ目に刻まれた言葉

			
我々は戦争という貴重な体験をした


世界の人々の中で数少ない人の経験だ



後世の人には絶対に体験させてはならない


この記録は戦争に参加した予科練廿期生の青春の記録だ


この真実を直視することによって


平和への道を進もう

特攻殉国の碑

			
戦後72年が過ぎています。


過去より現在まで連綿と命を繋いでくださった先祖に今私たちは何を思うのでしょうか?

そしてこれから先どの様にしたいのか…また繋いでいく命。

後世の人々にどの様な世界を残してあげられるのか…。


しっかりと考えていこうと感じました。


限りある命を戦争の時代に身を捧げてくださった先祖に私は感謝します。

最後に場所のおさらい!

ノスタルジー漂う

			

魚雷発射試験場跡

〒859-3617

長崎県東彼杵郡 川棚町三越郷151-1


駐車場はありましたが、あまり多くは停められません。

魚雷発射試験本部跡

			

特攻殉国の碑

〒859-3619

長崎県東彼杵郡川棚町新谷

他にも…

他にも、城山公園、半耐爆型建造物、川棚町郷土資料館、変電所跡、赤レンガ倉庫群などがある様です。


城山公園

歴史と平和の塔というものがある様です。

戦争の歴史を絶対に忘れてはならないという思いが込められた場所の様で私も次回は立ち寄ってみようと思っています。


半耐爆型建造物

魚雷の主な部品を製造・格納していたと言われる建物。

本来3本繋がっている場所だった様ですが現在は2本目まで行ける様です。


川棚町郷土資料館

原寸大の震洋(特攻艇)などある様です。

特攻殉国の碑資料館には模型がありましたがこちらも後世に残していく大切な資料がたくさんありそうですね。


変電所跡

戦時中に建てられたものとのこと。

現在は個人の所有とのことで中は見学できないそう。

外観だけでも!と見られる方はご迷惑にならない様にしてくださいね。


赤レンガ倉庫群

こちらも一つは個人の所有となっている様ですが

もう一つは川棚町の所有の様です。

屋根が全くないのは鉄の盗難があったとされる説もあるのだとか。

その先には何が?

			

終わりに

いかがだったでしょうか?

寒くなってきたこの時期にノスタルジー…という一言で収めてしまうには勿体無いこの廃墟。


廃墟というのも間違いかもしれません。

やはり「戦争遺跡」「戦争遺産」「戦時遺構」というべきでしょうか?

人それぞれ行って見て感じる事は違うと想います。


しかし、いく前に少し知識を入れておくことによって見え方も変わってくるかも知れません。

私はそれが嫌で予備知識?というものを入れずに自分の目でまずは見る様にしています。


ハウステンボスにほど近いということでパートナーを連れていくとそっちへ行こう!となるのはわかっていたのでひとりで行きました。

正解だったと思います。


ここは一人で思いに耽る素敵な場所だと感じます。


ここで一人佇むカメラを持った20代の人がいれば私かも知れません。

この場所はきっと私にとっても大切な場所となると確信しています。


政治的な発言はするつもりはありません。

ただ、僕には愛する人がいます。

きっと戦時中の人々にも愛する大切な人がいたでしょう。


資料を読んでもわかることです。


何を思い何を残していくべきか、私は私なりに考えて行こうと思います。

目をそらせてはいけない歴史

			

著者プロフィール
Sharetube