レッサーパンダ帽男殺人事件の「山口誠」とは
レッサーパンダ帽男殺人事件
レッサーパンダ帽男殺人事件(れっさーぱんだぼうおとこさつじんじけん)とは2001年4月に東京都台東区で発生した殺人事件。「浅草レッサーパンダ事件」とも呼ばれる。
あてのない旅
山口誠は1972年2月、札幌市生まれ。両親と弟、妹の5人家族。軽度から中程度の知的障害があり、簡単な会話はできるが話しの前後が続かなかったと言う。父親は酒を飲んでは、よく山口に暴力をふるっていた。中学校時代、自宅に友人を連れて来て2階の自室から大音量の音楽を響かせることもあった。将来は調理師になりたいと友人に話していた。「中学時代は目立たないおとなしいタイプで、あまり記憶にない」と元教諭。
1989年、山口が17歳の時に最愛の母親(享年40)が病死。
母親が亡くなった後、山口の家族は札幌市内を転々とした。家族が引っ越した後に入居した人によると、家の汚れがひどく、Tが使っていたと思われる2階自室の畳の下には、アクションスターの故ブルース・リーのポスターが敷き込まれ、壁には足で蹴ったような大きな穴が開いていたという。
1990年、定時制高校卒業後、クリーニング店店員、塗装工として働いた。しかし長続きせず、家出を繰り返し、飲食店や工事現場でアルバイトしながら、北海道各地や東京を放浪していた。
1994年、山口は函館市内の公園で、女性(当時34歳)にモデルガンをつきつけ、身体を触り、金を奪おうとした事件を起こしている。この時は強制わいせつと強盗未遂の容疑で逮捕され、懲役3年(執行猶予5年)の保護観察処分となっている。この事件の他にも犯罪を繰り返しており、01年までに前科4件だった。
2001年2月、上野署で家出人として保護される。
レッサーパンダの顔に似た縫いぐるみの帽子は函館で購入。「小さい頃、猫を飼っていて、動物が好きなのでかぶっていた」とのこと。山口本人はこれを犬の顔だと思っていたらしい。
3月ごろ、上野のカプセルホテルに宿泊。従業員が「かわいい帽子だね」と話し掛けると、うれしそうに帽子を差し出した。従業員は「おかしな人だな」という印象を受けたが「帽子のことを笑ってはいけない雰囲気があった」と思った。
山口、それまでは札幌市内で父と妹の3人で生活していたが、上京を決意。
4月3日、山口は上京してから浅草寺雷門近くのアーケードや浅草、上野周辺の公園に段ボールを敷いて野宿を続けていた。
凶器となる包丁は浅草の雷門付近で4月頃に購入。「人を脅かす目的と自分の身を守るために買った」と後で供述。
4月26、27日頃昼間、浅草・雷門近くの歩道上で、山口が50歳ぐらいの男性の頭を後ろから何度も殴っていているのが目撃されている。無言で何度も殴っており、目撃者である女性は気味悪く思ったという。
4月29日午後2時前、刺殺現場から約30m離れた公園内のベンチに“レッサーパンダ帽男”が長時間座っていた。隅田川を眺めていたといい、近所の人が話し掛けると黙って立ち去るようなそぶりを見せたという。
出典:浅草・女子短大生刺殺事件
レッサーパンダ帽の男
事件から約1時間10分前の4月30日午前9時半ごろ、山口は別の女性を襲っている。隅田川の下流に位置する吾妻橋上で、刺殺事件の現場からわずか約600mしか離れていなかった。山口が吾妻橋をで渡っていたところ、橋の中央付近で若い女性とに出くわした。山口が懐に手を入れ刃物を出すような素振りを見せたら、女性は大声を出し、持っていた傘で振り払うようにした。山口はすぐに逃げていったが、女性は傘を差していたため、山口の顔やレッサーパンダの帽子の有無など詳しい特徴は覚えていなかったという。
4月30日午前10時40分、板橋区志村に住む短大生・M子さん(19歳)が刺殺される。
M子さんはブラジリアン柔術大会に参加する恋人の応援のため、徒歩で隅田公園と隣接する「台東リバーサイドスポーツセンター」へ向かう途中だった。その途中、地下鉄銀座線浅草駅から近くの体育館に向けて大通りを歩き、駅から500m離れた地点で襲われた。
山口は「かわいいな」と目をつけていたM子さんの後ろを歩いていたが、M子さんが突然驚いた表情をして振りかえった。これにカッとなった山口はいきなりM子さんを路地へ連れ込み、両手で首を絞め、押し倒して馬乗りになった。そして持っていた包丁(長さ20cm)で、M子さんの背中や胸や腹など数回にわたって思いっきり刺して、失血死させた。この時、山口は「侮辱されたと感じた」「殺してでも自分のものにしたいと思った」と後で供述している。
M子さんの悲鳴を聞いた住人がかけつけると、山口は隅田川の上流方向へ逃走した。現場近くの隅田公園の茂みの中で帽子と血の付いた包丁が落ちているのが見つかっている。帽子は現場から約200m離れた隅田公園近くの植え込みの中にあり、夜に捜査員が発見した。帽子は中国製で縫いぐるみに使われる生地でできていた。茶色に白が交じり、レッサーパンダの顔に似ていた。近くでは犯人のものとみられる薄い色の付いた眼鏡も見つかった。
5月1日午後、包丁が発見される。帽子発見地点から約50m上流に位置する公園の茂みの中で、広告のチラシや傘と一緒だった。茂みに隠すような形ではなく、上に引っ掛かった状態だったという。帽子発見地点と現場との間には、犯人が犯行直後に手を洗おうとした公園内のトイレがある。
山口は犯行後、都内の駅構内などで野宿していた。5月7日、JR東京駅周辺で作業員を集める業者に声を掛けられ、埼玉県新座市の建設会社から代々木の工事現場に派遣され、8日から「コバヤシ」という偽名で働いていた。「東京駅までは歩いて行った。金がなかったから働いた」と後で供述している。会社関係者が「似顔絵に似た男がいる」と埼玉県警所沢署に出向いて情報提供、同署が捜査本部に連絡した。山口は新聞やTVを一切見ていなかったため、これだけ似顔絵が報道されていたにもかかわらず、自分がマークされていたことは知らなかった。
出典:浅草・女子短大生刺殺事件
逮捕後
現場近くで「動物のぬいぐるみを頭に載せた男」「レッサーパンダのような帽子を被った男」が何度も目撃されていたことから、捜査機関はこの男を容疑者とみて捜査を開始。5月10日、東京都代々木で山口(当時29歳)が逮捕された。事件直後から「レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被った成人男性による犯行」という異様さに注目したマスコミ、特に週刊誌は、この事件を大々的に取り上げようとしていたが、山口が軽度の知的障害者と判明した後は事件を取り上げることをしなかった。17歳の時に母が病死し、家出や放浪を繰り返し、山口には窃盗など4件の前科があった。
レッサーパンダのぬいぐるみ帽子は函館市で購入したものであるが、警察の取り調べに対して山口はこの帽子を「犬の顔(を模したもの)」だと思っていたと答えている。また、「何故その帽子を被って歩いていたのか」という質問に対しては、「大切なもので、毎日抱いて寝ている」と答えた。
裁判では山口に知的障害があったため、検察側と弁護側が責任能力で対立。2004年11月26日、東京地裁は「弁護側が主張するように、被告が広汎性発達障害に当たるとしても、完全な責任能力を有していたことは明らか」として山口に無期懲役を言い渡した。2005年4月1日、山口は控訴を取り下げ、無期懲役が確定した。
広汎性発達障害(こうはんせいはったつしょうがい、PDD, pervasive developmental disorders)とは、社会性の獲得やコミュニケーション能力の獲得といった、人間の基本的な機能の発達遅滞を特徴とする「発達障害における一領域」のことである。伝統的には発達障害の概念を「広汎性発達障害」と「特異的発達障害」の領域に二分してきたが、特に2000年代以降の臨床医学においては発達障害の概念が整理し直されている。なお、発達障害は、各種の診断基準や疾病分類において精神疾患に含まれる。
山口誠
家族
犯人…高等養護学校卒。障害者手帳交付されるが就職に差し支えるからと破棄。就職先では前歯を全部折られるほどひどいいじめを受ける。
家出、置き引き、強制わいせつを繰り返し服役経験もある累犯障害者。
事件後、無期懲役
・父親…DV、無類のパチンコ好き。犯人が家出するようになったのは父の暴力から逃れるため。
事件後、知的障害が判明、障害者手帳交付
・母親…父親に代わって働き家計を支える。
犯人が17才の時白血病で死去。
・妹…中卒で就職、母亡きあと家計を支える。
しかし体に次々腫瘍ができる難病にかかり
少ない稼ぎも治療費や父のパチンコ代に消え、極貧と病苦にあえぐ。
事件後、身体障害者手帳交付。医療費補助も受けられるようになるが1年後病死
・弟…名古屋で就職したらしいが詳細不明
家出先から保護を求める男に対し、お金の用立てをするのは、ほとんどが妹だった。しかしその妹の置かれた状態は過酷だった。死の床にあって、最後の支援を始めることとなった共生舎のスタッフに対し、「これまで生きていて、楽しかったことはひとつもない」と語ったという。「この飽食とレジャーの太平楽にあって、それが25の若い娘が吐く言葉か」取材のさなか、共生舎の岩淵進氏はそう言うと、しばらく絶句した。その無念さが痛いほど伝わってきた。母親はすでに他界していたから、高校進学をあきらめるほかなく、妹は中学卒業と同時に家事に専念する。ちょうど父親と兄弟が塗装店で働き始めたころだった。ペンキに汚れた衣類を洗い、食事の用意をし、家の中のいっさいを切り盛りしていた。前述したように手取りは父親が握っており、わずかばかりの生活費でかつかつの暮らしを余儀なくされたという。しかし函館での事件の後、弟は単身名古屋に仕事を見つけて移り住み、父と妹は食品加工会社で働くこととなった。94年、妹が18歳のときだった。そして4年後、妹は最初の発病をする。「肺炎・多発性肺腫瘍」と診断され、肺腫瘍の摘出手術を受けた。さらに半年の後、こんどは「右大腿部軟部肉腫」のため、再び外科手術。1994年食品加工会社就職。(このとき18歳)
1998年5月、右脇腹の痛みがひどく受診。レントゲン写真に黒い影がたくさんあり、即入院。肺の腫瘍の摘出手術。右大腿のしこりが大きくなり、「右大腿部軟部肉腫」と診断。肺の影はこの肉腫が転移したもの。
2000年2月、頭痛がひどく意識不明で倒れる。脳に転移が見つかり腫瘍摘出手術。
8月、「転移性肺腫瘍」と診断。
12月、ガンマナイフにて脳腫瘍手術。
2001年3月、在宅酸素療法開始。
8月、身体障害者手帳取得手続き。年金手続き。
9月、身障者手帳1種4級交付。
10月、共生舎利用登録。
12月、自宅で入浴中に倒れ救急車で病院へ。そのまま入院。新居契約。世帯分離し○区へ転入。
2002年1月、身体障害者1種1級再交付。
7月、痙攣発作のため入院。
8月、再び痙攣発作。死去。25歳。
妹は生活費を家に入れていたほかに、この間の入院治療費や手術費用の過半を、自分の働いたお金で当てていた。まさに家族と病のために働きづくめの歴史だった。
妹は、経済的な理由で高校進学をあきらめ、働いて一家を支えてきた。だが21歳の時、病魔が襲う。末期ガンだった。しかしながら、その後も自分の治療費や家族の生活費のために働き続け、25歳で病没。この事件の被害者のことはもちろんだが、彼女の冥福も祈りたい。
出典:浅草・女子短大生刺殺事件
争うべきは何か
障害者による犯罪。メディアが身を引いた事からも明らかだが、この事件、このテーマはタブーである。触れてはいけない、報じてはいけない、そんな空気が一面に漂う。
山口は取り調べに際しても、つかみ所のない供述に終始して、それは裁判となっても変わることはなかった。検察、あるいは弁護士とのやりとりを読んでも、山口が何を主張したいのか正直よく解らない。それは犯行動機にしてもいえることだ。なぜ彼女を殺したのか。なぜ彼女は殺されねばならなかったのか。それがつかめない。
弁護は山口の『精神薄弱』を根拠に情状酌量を求め、検察は被害者のために戦う。読んでいて鉛を食ったかのように胃が重くなる。
ここで逮捕直後に山口が書いたとされる供述作文を原文ママに引用しておく。
ーーーーー
わたしが女の子をころしたことについて
ことしの4月30日のごぜん10時30分ころあさくさでかさをさした女の子のうしろからこえをかけようと 思ったら女の子がふりかえり、へんな目で自分のほうをみたので自分は女の子をころして自分のものにしようと思いみぎてのほうちょうで女の子のせなかをさし 女の子のりょうかたをもちろじにいれあおむけにたをし女の子のおなかをほうちょうでさしさらにうまのりになって女の子のくびをりょうてでしめようとしたら ちかくのマンションのうえから男のこえで、けいさつをよぶぞとゆうのでにげたのです。
にげるとちゅうで、ぼうし、けがわのコート、メガネ、ほうちょう、女の子のかさなどを川のどてにすてました。
これは検察によると、山口本人が書いたモノであるが、その後も供述がコロコロ変わるので真偽の判断は付けようがない。公判でも「いつの間にか調書に書かれていて、書かれているからそう答えた」と本人が証言している。業を煮やした取調官が、わかりやすいストーリーを組み立てたのかも知れない。これは野田事件にも通じる。ただこの件に関しては目撃者がいるので冤罪の可能性はゼロに近い。
被害女性に対するわいせつ行為を働きたかった、あるいは本当に視線に腹を立てての犯行か。これは各人が記録を読んで判断していただきたい。
ただ、事件の前、持ち金がほとんど底をついた山口が空腹を満たすパンではなく包丁を購入した事実には着眼すべきだが。
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