福岡中2いじめ自殺事件とは
福岡中2いじめ自殺事件
福岡中2いじめ自殺事件(ふくおかちゅうにいじめじさつじけん)とは、2006年10月11日にいじめを苦にした少年が自殺した事件である。いじめのきっかけが元担任教師による生徒達に対する不適切な言動だったことが調べで分かり、いじめが再び社会的に注目を浴びた事件である。
舞台となった場所
こんなだめ息子でごめん
2006年10月11日午後8時過ぎ、福岡県筑前町立三輪中学校2年の森啓祐君(13歳)が、自宅倉庫で首を吊って自殺しているのを、隣家に住む祖父(当時67歳)が発見した。ズボンのポケットなどに複数のメモがあり、「いじめられて、もういきていけない」「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」などと記していた。足元には、学校が保護者あてに配布した「高校視察案内のお知らせ」が置かれており、その裏面に同様の内容のことが書かれていた。
「遺言 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよなら」
「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」「seeyouagein? 人生のフィナーレがきました さようなら さようなら さよ~なら~」
「生まれかわったら ディープインパクトの子供で最強になりたいと思います」
「お母さん お父さん こんなだめ息子でごめん。今までありがとう」
翌朝、三輪中学校は全校集会を開き、合谷智校長が事情を説明した。また全校生徒にいじめの有無などを確認するアンケート用紙を配布し、同日中に回収した。担任の男性教諭(当時45歳)は学校側の聴取に対し、「いじめは把握していなかった。(自殺当日)朝から目前に迫っていた中間テストに向けてプリント学習に励んでいた。給食も元気そうに食べていた」などと答えた。
森君はバレーボール部に所属して、9月から主将をつとめていたが、1年の1学期に「部活に行きたくない」と漏らしていた。また通学に使っていた自転車のネジをゆるめられ、祖父に「交換して」と言ったことがあった。またある日にはレインコートを泥だらけにして帰ってきたことがあった。
学校側はお決まりのように当初いじめを否定していたが、12日になって「長い間、いじめを受けていたようだ」と説明した。
13日、自宅で葬儀が営まれ、近所の人や学校関係者など500名が参列し、冥福を祈った。
14日には、自宅で告別式が行われる。
焼香後、同級生の男子生徒が「明るく、へこんでもすぐ立ち直る姿しか思い出せない。1人で悩んでいる時、相談相手になれなかったのが悔しい」と別れの言葉を述べ、続いて小学4年と5年の弟達が「よく面倒を見てくれてありがとう。お父さん、お母さんのことは僕たちに任せて下さい」と祭壇に語りかけた。
同じ日には、学校側が町役場で記者会見を開き、自殺当日にトイレでズボンを無理やり脱がされるといういじめを受けていたことも判明した。
自殺当日、森君は休み時間に同級生に「おれ、きょう死ぬっちゃん」などと、死ぬという発言を計5回もしていた。1、3、5時限の授業中にも周囲に聞こえる声で「死にたい」と言ったが、内容をのみこめなかった教諭から「私語はやめろ」と注意されている。6時間目の美術に時間、スケッチブックを同級生から借り、それに「遺言」を書いた。貸した生徒は冗談だと思っていたという。
下校直前には、トイレの中にいた生徒7人に「自分は死ぬ」と言ったところ、「死にたいのは嘘だろう。下腹部を見せろ」とズボンを下ろされそうになっていた。
午後4時40分頃に下校した森君は、途中まで一緒だった親友に「今までありがとう」と言った。
きっかけは…
15日、三輪中の合谷校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが森君の両親宅を訪問。両親が1年生の時の担任をつとめていた学年主任(当時47歳)に「息子をからかっていたのではないか」とただすと、担任は「はい」と小さな声でそれを認めた。両親は「このことが発端となり、学校でいじめが生まれたのではないか」と詰め寄った。1年生の一学期、インターネットのサイトを森君が繰り返し見ている母親が担任に相談した。元担任はその翌日、この相談内容を同級生に暴露し、クラスで男子生徒にそれにちなむ、不本意なあだ名が付けられた。森君は「学校に行きたくない」と訴えるようになった。
元担任は福岡教育大学出身の、国語担当でサッカー部の顧問。他にも、友人が落とした文具を拾ってあげた森君に対し、「偽善者にもなれない偽善者」と呼び、森君が2年に進級する際に「この子は嘘をつく子だ」と新たな担任に申し送りした。
こうしたことについて両親が「啓祐を集中的にいじめたのではないか」と問い詰めると、しばらく口篭もって、「(森君が)からかいやすいというのはありました」とそれを認めた。この面会で学校側は「1年生時の担任にいじめを誘発する言動があった」として、森君の両親に謝罪。元担任も両親に「一生をかけて償います」と詫びた。
元担任の問題発言はまだある。
生徒の試験の成績をイチゴの品種に例え、「(県特産の高価な)あまおう」「とよのか」「とちおとめ」「出荷できない」などとランク分けし生徒を呼んで、保護者から中止を求められることもあった。ちなみに成績優秀だった森君は「あまおう」と呼ばれていた。
ある国語の授業では、生徒に「好きな字を黒板に一字書きなさい」と言い、指名した女子生徒に対し、「君は太っているから豚だ」と言って、漢字を書いたりした。
元担任はふざけるところがあるが、そこが面白く生徒らには人気があったという。
このような教諭でも、99年頃に生徒のいじめ防止など人間関係向上のためのコミュニケーション体験「エンカウンター」の指導研修を受けていたことことがあった。これは、課題に対して話し合いを通して互いを理解しあうカウンセリングの一種で、教諭が県内の別の中学に在職していた時、1年間の研修を受けた。
三輪中では2年前にも女性教諭が、友人と数人でおしゃべりしながら清掃していた当時2年生の女子生徒に「あんた、馬鹿じゃないの」「「頭がおかしい」などと不適切な発言をしたことがあった。女子生徒は教諭に電話をかけて直接抗議したが、「転校してくる前の学校でも頭が悪かったらしいね」「茶髪に染めていたんでしょ」などと言われ、ショックで不登校となった。
1週間後、女子生徒の母親はこの女性教諭と合谷校長と面談して「何か言うことはありませんか」と謝罪を求めたが、教諭は「何もありません」と言い、校長も特に問題にはしなかった。この女性教諭はいじめ自殺が起こった時も同校に在籍している。
『週刊新潮』2006年10月26日号において、いじめ主犯教師の実名を報じました。教師の名前は田村伸一で、福岡教育大学卒の47歳・国語担当ということです。
福岡中2いじめ自殺事件とは
誰が生徒を守るのか
15日夜、三輪中体育館で全生徒の保護者を対象とした説明会が開かれた。学校側は自殺の経緯、これまで判明していることなどを説明した。16日未明、合谷校長は記者会見で「遺族への説明時には冷静さを欠いてしまい、『因果関係がある』と説明してしまった。もう一度考え直すと情報が少なく、より多くの情報を集めて分析してみないと因果関係については分からない」と釈明。
午前2時前、合谷校長は教頭とともに森君の両親宅を訪ね、2時間ほど面会。「時間が経過しており、自殺と結びついているとは考えていない」との見方を直接伝えた。
16日朝、三輪中学校で全校集会が開かれ、合谷校長は「森君を忘れてはいけない。(先生が)身体的、精神的なプレッシャーを与えていたかもしれない。先生たちが手を抜いてしまった。乱暴な言葉を使ってしまった。ごめんなさい。全力で君たちの信号をキャッチする」「本当に申し訳ないと思います。先生たちの気持ちに甘えがありました。先生たちは生まれ変わりました。全力で君たちを守ります」などと生徒たちに謝罪。
校長は「いじめ」を「プレッシャー」という言葉に言いかえた。「君達(生徒)を守る」という言葉も、発言内容を翻した記者会見の後だけに、生徒を守るというより、自分たちを守りたいものと見られてもおかしくなかった。
また校長は、体調をくずし療養中の元担任を現場に復帰させる意向を示している。
同校ではこの数年間に7、8件のいじめが起こっていたが、担当教諭の指導などで解決したため、「いじめが続くことはない」と判断し、町教委に”0件”と報告していた。また急遽とったアンケートでも、全校生徒の一割が「いじめの経験がある」と答えていたことがわかった。
森君に対するいじめは小学5年の時から始まったという。クラスを盛り上げようと、友人を笑わせようとしていたのだが、バカにするようなあだ名がつけられた。6年生になっていったんおさまったが、中学に入ると再発した。
「うざい」「きもい」「お前は目障りだから向こうに行け」などということを言われており、森君からそのことを打ち明けられた友人は、親や先生などに相談するよう言ったが、「親が心配するから、自分でどうにかするから、心配せんでいい」と話していた。また教室の机には、「バカ」と書かれていた。
20日、森君が好きだったディープインパクトとコンビを組む武豊騎手が「天国で応援してください」というメッセージを入れたサイン色紙が、遺族を励ます内容の手紙とともに届いた。
23日、両親は筑前町長らに「遺族の意見が反映されないまま委員会が発足されようとしており、透明性、公平さを欠いている」として要望書を出し、調査委員会に遺族と、遺族が指名する識者を2人以上参加させるよう要望した。この要望について町教委は要求には応じられない」と文書で拒否。
29日、いじめ自殺で子どもを亡くした保護者が筑前町に集まり、「いじめ被害者の会」を設立。
11月、森君をいじめていた同級生のグループが、事件後も別の男子生徒をいじめていたことが発覚。
12月12日、町教委・調査委員会が中間報告をまとめ、町教育委員長に提出した。報告では「いじめに類する行為があり、生徒を結果として死に追い込んでいった可能性がある」と指摘、学校側がいじめ発見の努力を怠っていたと認定した。ただいじめと自殺の因果関係については明確にしなかった。
12月28日、町教委・調査委員会は「自殺にまで至った精神的苦痛の最も大きな原因の1つは、いじめに相当するものだったと判断する」との最終報告をまとめる。
07年2月10日、都内で開かれたシンポジウム「生まれてきてくれた命たちへ」(NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」)に、森君の母親が出席し、初めて森君の実名や写真を公表した。
誰が生徒を守るのか
虐めに加わった生徒
いじめ集団1年前からしつこく 死後「せいせいした」福岡県筑前町の中学二年男子生徒(13)による自殺事件で、同級生の一部のグループが、一年前からたびたび、「死ね」「うそつき」などと生徒をののしっていたほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが二十一日、複数の関係者の証言で分かった。
生徒を自殺に追い込んだいじめ行為の根深さを物語る証言で、福岡県警もこの情報を把握しており、近く同級生らから事情を聴くことにしている。
メンバーたちは二十一日までに、入れ替わり生徒宅を訪れ遺族に謝罪。その際、これらの行為の一部を認め「(自分も同じ立場だったら)死にたくなる」などと答えた。さらに被害生徒が一年生の時、いじめを誘発する発言をしたとされる男性担任教諭(47)の言動を見て「先生と一緒になってからかったりしてました」と、教諭の影響があったことも口にしたという。
■事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ
■新潮社の記事によると7名の生徒を中心にいじめが行われていた模様。
■被害者と遺書を一緒に書いていた(書かせていた)…【自殺教唆?】
■「死ぬんなら覚悟を見せろ」と下半身を露出させるいじめ
■「マダ死なないの?「早く死ね」等の脅迫 …【自殺教唆?】【脅迫?】
■未成年である事及び 「本当にそいつらが犯人かどうかの信憑性が薄い」
事件後
事件の起こった学校では、事件後に報道があるたびに気分が悪くなる生徒が続出した。福岡県警は2007年2月19日に、2006年10月11日にいじめ被害者の手足を押さえつけてズボンを脱がそうとしたという、暴力行為等処罰法違反の疑いや非行事実で、14歳の同級生3人を書類送検、当時13歳のため刑事責任が問えない2人を児童相談所に通告した。自殺した生徒の母親は2007年2月に生徒の実名を公表。いじめの根絶を訴えた。福岡法務局は2007年5月18日、元担任教師がプライバシーを侵害する言動を行い、また前校長はいじめの防止の取り組みが不十分であったとして、二人に対し「説示」の文章を読み上げた上で文章を手渡した。
福岡家裁は2007年6月18日、送致されていた同級生3人全員を不処分とする決定をした。この決定は非行事実については認めており、教師ら学校側の責任も言及されている。
また、自殺した少年が遺書に「生まれかわったら(強くなりたいの意味から、当時連勝を重ねていた競走馬の)ディープインパクトの子供で最強になりたい」と記していたことから、ディープインパクトの主戦だったJRA騎手の武豊が遺族に自らのサイン色紙を贈っている。
情報開示請求
調査には不透明な部分が多かったため、2007年9月14日に行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律に基づき遺族が福岡法務局に対し調査の開示請求を行ったが、11月13日に開示された情報はほとんど黒塗り状態で、遺族は憤りを隠せず抗議したが、鳩山邦夫法務大臣は12月4日の会見で「まったくのオープンというわけにはいかない」と述べている。
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