「未解決事件の為情報求む!」御嵩町長襲撃事件とは
御嵩町長襲撃事件
御嵩町長襲撃事件(みたけちょうちょうしゅうげきじけん)とは1996年10月に岐阜県可児郡御嵩町で御嵩町長が襲われた殺人未遂事件。犯人が検挙されないまま、2011年10月30日に公訴時効が成立した。
概要
1996年10月30日午後6時15分頃、柳川喜郎御嵩町長(当時63歳)が自宅マンションのエレベーター付近で2人組の犯人に襲われて、頭蓋骨骨折の重傷を負い、肺には穴が空いた状態で、午後6時半頃、同町内になる病院に運ばれ、一時重体となった。その後約1ヵ月間入院した。事件が発生した御嵩町では産業廃棄物処理場の問題があり、被害者の町長は事件の1年半前に廃棄物処理場建設反対を掲げて当選した。さらに事件が発生する直前に町長の自宅から盗聴器が見つかり、2グループ計11名が電気通信事業法違反で逮捕されている。盗聴グループの主犯格らは盗聴の目的を「反対派町長のスキャンダルを探すため」と供述し、また寿和工業(御嵩町に処分場を計画した産業廃棄物処理業者)から数千万円の現金を受け取っており(現金の趣旨は「盗聴の報酬ではない」と供述)、盗聴事件が産業廃棄物処理場であることを見られたが、襲撃事件に結びつく証拠はでなかった。
公訴時効成立までに岐阜県警は延べ15万5000人の捜査員を投入。最大180人態勢で捜査をした。2011年10月28日に全国的に異例の時効に関する会見に警察が応じ、被害者に謝罪したが、捜査課題は残ったとしながらも、捜査には問題がなかったとした。
産廃処分場をめぐる事件
1991年8月- 産業廃棄物処理業者である寿和工業株式会社[1](本社・可児市)が御嵩町に処分場を計画。1992年10月- 町が岐阜県に「不適当な施設」と意見書報告。
1995年2月- 町と寿和工業が、住民への説明なしに振興協力金名目で35億円の支払を盛込んだ協定を締結。
1995年2月- 町が県への意見書を「やむを得ない」に変更。
1995年4月- 町長選で、処分場反対派の元NHK解説委員・柳川喜郎が初当選。
1995年9月- 町が県に許可手続きの一時凍結を要請。
1996年10月- 御嵩町長襲撃事件発生(町長は一時意識不明の重体となる)。
1996年12月- 住民請求により処分場建設の賛否を問う住民投票条例制定を直接請求。
1997年1月- 御嵩町議会、住民投票条例案を可決。
1997年6月- 産廃処分場計画を争点に全国初の住民投票実施。投票率87.50%・反対79.65%
1997年6月~7月- 柳川町長宅電話盗聴容疑等で岐阜県警が興信所所長らを逮捕。
1997年7月- 町が県に「住民投票の結果を尊重する」と伝える。
1998年6月~7月- 別の盗聴グループを岐阜県警が逮捕。
1998年11月- 町などの呼びかけで「全国産廃問題市町村連絡会」設立。
2005年4月- 古田肇岐阜県知事が、柳川町長と会談(知事と町長の会談は10年ぶり。)。
2007年3月- 柳川町長が次回町長選に出馬しないことを表明。
2007年4月- 建設反対派で柳川が支援した渡辺公夫が新町長に当選。
2007年4月- 古田知事・柳川町長・清水寿和工業社長が県庁にて三者会談。
2008年3月- 古田知事・渡辺町長・清水寿和工業社長が県庁にて三者会談。寿和工業が県に提出していた処分場建設の許可申請をとりさげることで合意。
出典:.E7.94.A3.E5.BB.83.E5.87.A6.E5.88.86.E5.A0.B4.E3.82.92.E3.82.81.E3.81.90.E3.82.8B.E4.BA.8B.E4.BB.B6"