【死刑判決】長野・愛知4連続強盗殺人事件の「西本正二郎」とは
長野・愛知4連続強盗殺人事件
長野・愛知4連続強盗殺人事件(ながのあいちよんれんぞくさつじんじけん)は、2004年1月13日から同年9月7日にかけて、愛知県及び長野県で連続して発生した強盗殺人事件。
殺害された高齢者たち
▽2004年4月27日、長野県飯田市の島中実恵さん(77歳)が自宅で絞殺された。現金や貯金箱も奪われていた。▽8月14日、長野県高森町の加藤仁さん(69歳)が自宅前で倒れているのが発見される。胸を刃物で刺されていた。やはり現金を奪われていた。
▽9月8日、高森町のパート従業員・木村あい子さん(74歳)の刺殺体が自宅で発見される。胸など数ヶ所を刺されており、現金6000円が取られていた。玄関や勝手口、窓はすべて施錠されており、訪問者の応対をした際に殺害されたと見られた。
殺害された島中さん、加藤さん、木村さんはいずれも1人暮しの高齢者。同町は若者の流出などで、65歳以上の1人暮しが230人にもなる。高森町ではもう58年も殺人は起こっておらず、飯田署管轄内でも過去10年以上「殺人」がなかった。このため平和だった町は一気に恐怖と不安に包まれた。
9月13日、飯田市内の会社員(当時56歳)宅で、泥棒の警報器が鳴ったため、捜査員が急行すると、現場付近に泥で汚れた不審な男がいたために職務質問した。男はまもなく窃盗、住居不法侵入容疑で逮捕された。その男の名は住所不定無職・西本正二郎(当時27歳)。くわしく追求すると、長野で起きた3件の高齢者殺しについて自供し始めた。さらに同年1月にも愛知県春日井市でタクシー運転手を殺して、売上金を奪ったことも自供した。
出典:西本正二郎連続殺人事件
西本正二郎
西本正二郎は飯田市で生まれた。母親は地元では有名な弁当会社社長の娘で、父親はそこの社員だった。生活ぶりは裕福だった。その後、父親が東京に単身赴任となり、実質母親に育てられる。
小学6年の時、家の新築のため市内の別の小学校に転校。体格は良かったが、元来の気の小ささのため友達がうまくつくれなかった。このため同級生たちに現金を渡して、家に遊びに来てもらおうとしたこともあった。友人が家に訪れると、サバイバルナイフやエアガンを自慢気に見せた。この頃から父親は西本に暴力をふるうようになり、幼い彼は妹に当り散らした。親類が妹を預かりに来るほどの暴力だったという。
中学に入学してからも学校は休みがちだった。当然、学校のの成績も芳しくなかった。ある時、西本は友人に「僕は死にたい。生きとってもしょうがない」と打ち明けたことがあった。またある時は常に学校に持参していたサバイバルナイフで自分の腕を切った。血が出ても、彼は動じず、自分で縫合をした。
中学3年の時、両親が離婚し、西本は父方につく。
中学卒業とともに森林整備会社に就職する。山の斜面に落石防護ネットを張る作業で、始めは真面目に勤務していた。
だが18歳になって車を購入してからの西本の働きぶりと言えば、手を抜き、よく欠勤するなど上司・同僚の印象の良いものではなかった。
21歳で整備会社を退職。その後、別の土木会社などを転々とする。
2002年8月、西本は交通事故で腰椎椎間板ヘルニアを患い、2年ほど勤めた会社を退職した。会社を辞めてからは市内のパチンコ店に入り浸り、借金は数百万円にまで膨らんでいた。
2003年3月22日、3月分の家賃を支払わないまま飯田市のアパートを出て、とりあえずの寝場所を確保しようと飯田市内のレンタカー会社営業所から乗用車を4日間の契約で借りた。
レンタカーで西本は職探しのために愛知県をやって来た。住みこみで働けるところを探したが、腰痛で力仕事が出来なくなった西本に合う求人はなかなか見つからなかった。すぐに見つかるだろうと踏んでいた西本は、寝場所でもあったレンタカーを返すこともなく、返却期限が来てもそのまま車での生活をするようになっていた。
5月、家財道具や自家用車を売って手にした金も底をつき始め、飯田市の民家に空き巣に入る。この時、100万円近い現金を盗み出した。一気に大金を手にした西本は鹿児島まで旅行に出かけている。その後にも空き巣を何度か行ない、中古車まで購入した。以後、レンタカーを放置し、中古車での生活に切り換える。
この頃、西本は地元のクラブのママ・A子さんのもとに足繁くようになった。A子さんには夫がいたが、美しい女性だったため、にしもとは夢中になっていた。西本は「飯田の有名企業家の息子」を名乗り、派手に飲んでいたようだ。一方、A子さんは派手だったが、実は金はあまり持っていなかった。夫は消費者金融から金を借りていたが、その返済にこまっていた。そして「金持ちの息子」であるように見える西本と親密になるようになっていく。
9月頃、西本が借りっぱなしにしていたレンタカーは松本市内で発見された。レンタカー会社はこの件で、「延滞料・修理料など120万円が支払われていない」と飯田署に相談していた。
また同じ頃、西本は以前住んでいたアパートの一室に空き巣に入り、計1020万円もの大金を奪った。ホームレス状態だった西本はこの空き巣事件後は、高級腕時計を買い、パチンコに明け暮れ、バーなどで豪遊するようになっていた。エアロパーツやオーディオなど、愛車であるパールホワイトのセドリックの改造にも100万以上かけた。県内の山道をドリフトでとばす走り屋だった。
こうして9月に手にした1020万円は12月にはもうなくなっていた。だが金を使い果たしても、1000万円を楽に入手できた西本にとって、もはや「真面目に働く」という選択肢はなかった。無くなれば、また取ればよかったのだ。
2004年1月13日、愛知県名古屋市にやってきていたが、車のガソリンも尽きかけていたため、自転車を盗んでひったくりを図ろうとする。ところがターゲットがいなかった。しかも、パチンコ屋でトイレを借りてる間に自転車を盗まれてしまう。途方にくれた西本が目をつけたのはタクシーだった。JR名古屋駅から乗車し、春日井市まで行き、到着するとlこのタクシーの運転手・湊保雄さん(59歳)の首を切り殺害。売上金約18000円を奪った。湊さんは死ぬ間際言った、「俺の人生も終わりか」という言葉がいつまでも西本の耳に残った。
この頃、A子さんは夫と離婚。西本は高森町にあるA子さん宅に転がり込んだ。A子さんは自分の店を持つようになり、これを西本は手伝うなどしていた。
4月26日午後8時頃、金欲しさに飯田市の島中実恵さん宅の居間にあがりこみ、島中さんを絞殺。現金1万5000円と貯金箱を奪った。西本と島中さんは顔見知りで、前年5月に駐車場を借りると偽り、車庫証明の書類を書いてもらったことがあった。
5月20日、島中さんが車庫証明の書類を書いた際、西本のサインを残していたことから、飯田署に呼ばれ事情を聞かれた。
任意で車内も調べられたが、それ以上は西本を追い詰めるようなことはしなかった。これは別の容疑者が浮上したことも関係しているのだろうが、これは後述する。
この時、飯田署は同時に前年相談があったレンタカー会社の延滞料・修理代について事情を聞き、西本は分割で月3万円ずつ支払うことで会社側と示談した。しかし7月になっても支払われなかったことから、飯田署は再び西本に厳しく注意した。会社側からも「不払いの時は訴訟も辞さない」と言われていたので、「払わないと2件の強盗殺人がばれる」と西本もあせった。
8月、西本はレンタカー会社に「来週支払う」と電話。
西本は高森町の有線放送農協が配布する「有線電話番号簿」を見て次のターゲットをさがした。この電話帳には加入者の住所と家族構成が記載されており、1人暮しの高齢者の自宅について簡単に調べることができた。さらに図書館で地図を調べ、周りに人気のない住宅を絞り込む。
8月10日午後7時半、集落から離れた加藤仁さん宅を訪れ、加藤さんをナイフで刺殺。現金26万円を奪った。加藤さん殺害後、7、8月分計6万円をレンタカー会社に持参した。
8月下旬、同居していたA子さんにも愛想をつかされ、追い出された。西本は食うのに困るようになった。レンタカー会社にも返済の延期を求めた。
9月7日午後7時20分頃、以前空き巣に入ったことのある高森町の木村あい子さん宅に訪れ、「すみません」と道を尋ねるふりをして木村さんを玄関先に呼び出した。西本は持っていたナイフで木村さんの胸を数ヶ所刺して、現金6000円が入ったセカンドバッグなどを奪った。
西本は足跡が残るため、犯行後に靴を捨て、量販店で新しい靴を3足購入した。
6000円では延滞料返済もどうにもならなかったため、西本は再び空き巣を企てる。狙いをつけたのは飯田市にある知人の会社役員宅で、この日が給料日であることも知っていた。知人を待ち伏せして殺害しようとまで考えていた。
ところが、侵入すると泥棒防止のブザーが鳴り響いた。大柄な体格、金髪で、泥に汚れた見るからに怪しい西本は駆けつけた署員らに職務質問され、まもなく逮捕された。
出典:西本正二郎連続殺人事件
供述
●仕事がなく、食事を2日に一度しか取れないような状況だった。人を殺して金を奪うほかに方法が思い付かなかった●レンタカー代に困ってやった。奪った金で返済した
●死刑という罰は納得できる
出典:西本正二郎連続殺人事件
疑われた遺族
5月20日に西本は飯田署に呼び出されたが、詳しい追及は受けなかった。これは捜査本部のなかで、容疑者が浮上していたからだった。島中さんの娘・桜井好子さん(当時52歳)のもとに警官がやってきたのは6月10日だった。島中さんと同じ敷地内の別棟に住む桜井さん一家がまず疑われたのだった。
好子さんはすぐに警察署に連れて行かれ、署名と押印を要請されたが、これはポリグラフを受ける承諾書だった。好子さんは電極コードの延びる椅子に座らされ、次々と質問を浴びせられた。続いて通された取り調べ室では捜査員から「犯行現場から見て、身内・家族以外いない」と言われ、事件当日の行動や生命保険に至るまで聞かれ、 解放されたのは翌0時過ぎだった。取り調べはさらに翌日も翌々日も行われ、1週間にもわたった。「自首しろ」「自首してくれたら、刑を軽くしてやる」と言われ、娘(当時28歳)も呼ばれ「お母さんに自首をすすめてくれ」と言われた。家族内で疑心暗鬼になり、好子さんはうつ病になったという。この犯罪における二重の被害者と言えるだろう。
西本逮捕後の10月12日、飯田署の署長、地域課長、刑事が好子さんのもとを訪れ、直接謝罪した
出典:西本正二郎連続殺人事件
裁判焦点
西本被告は一件の事件で奪った現金の金額は起訴状より多いと訴えたが、他の起訴事実は全て認めている。弁護人は父親から暴力を受けるなどした生い立ちが犯行に影響したとして、被告の情状鑑定を地裁に請求した。検察側は、被告の生い立ちについて「特異な成育歴とは言えない」と反論。長野地裁は情状鑑定請求を却下した。
最終弁論で弁護側は、西本被告の家庭環境や生い立ちなどについて触れ、「暴力のある家庭で両親の愛情なく育った西本被告は、どんなことでも自分で解決しようとするようになったが、責任を持って対処することはできず、正当な方向に進むことなく罪を重ねた」と指摘。また「被告は強盗や窃盗ではなくなぜ強盗殺人で金を手に入れるようになったのかはわからない」と述べた。また4人の殺害を自供したことが自首にあたるとし、「寛大な処分」を求めていた。
検察側の死刑の求刑に対しては「死刑は憲法36条の残虐な刑罰の禁止などに違反している」と述べた。その上で「被害者遺族の気持ちは重々承知しているつもりだが、西本被告は被害者の冥福を祈り罪を一生背負って生きていくべき」と主張した。
最終意見陳述に立った西本被告は「被害者や遺族の人には申し訳ないと思っている。自分には死刑という判決が適していると思う。死を持って償いたい」と述べた。
土屋裁判長は、愛知県の事件は自首と認めたが、長野県の3件の事件については退け「重大性と悪質性をかんがみると刑を軽減するのは相当ではない」とした。幼少期に父親に虐待された経験が犯行の背景にあるとして弁護側が求めた情状酌量についても「被告人の刑事責任はあまりにも重大で極刑は免れない」と述べた。判決理由では「被告人は確定的殺意を持って犯行に及び、その態様は冷酷かつ残忍で被害者遺族の処罰感情が峻烈で、財産的被害も甚大。何ら落ち度のない被害者4人の生命を奪うなど被告の刑事責任は誠に重大を言わざるを得ない」と述べた。
西本被告は明らかにしたいことがあると控訴。2006年10月11日の控訴審初公判で西本被告は、4件の殺人事件の前に殺人事件を起こしたと述べた。
25日の第2回公判で西本被告は、「2003年4、5月ごろの日中、福島市内あたりをレンタカーで走っていた際、女性をひいた。軽傷だったが『警察に連絡する』と言ったので(窃盗など)以前の犯罪が発覚すると思い殺害した」と供述。西本被告は同年3月22日から3日間の契約で、飯田市でレンタカーを借り、その後、料金を滞納したまま車内で寝泊まりしており、車内にあったロープで後ろから女性の首を絞めたという。女性の年齢や服装には触れなかった。
また、遺体を山中に捨てた際、検問中の警察官に「地元の人も来ない場所なのに何をしてるのか」と質問され、旅行者を装い「いろいろな県をぶらぶらしてます」と答えて通してもらったと証言。その後、女性についての報道がなく「福島の件が発覚しなかったので、自分がよく行く愛知で事件を犯しても分からないと思った」などと述べた。
控訴審で供述した理由を「4件と違い、その場の感情で殺してしまった。自分でも納得できず、ずっと言えなかった。控訴したのは真実をすべて話すことが償いになると思ったから。(一審の)死刑判決には不服はない」と述べた。
福島県警は裏付け捜査に延べ1000人以上を投入したが遺体は見つからなかった。11月20日夜、西本被告は女性殺害は嘘だったと供述した。
11月29日の第3回公判で、西本被告は改めて「別の殺人」は虚偽であったことを認め、謝罪した。この日で公判は結審し、判決が2007年1月22日に言い渡される予定だった。
2007年1月11日、西本被告は控訴を取り下げた。翌日、弁護人は西本被告と面会した上で、取り下げの有効性を争う申し立てを行わないことを明らかにした。
死刑
判決確定から2年後の2009年1月29日、当該事件の死刑囚の死刑が執行された。これは2007年に死刑判決が確定した死刑囚としては最初の死刑執行であり、21世紀に入ってからは宅間守に次いで判決確定から執行までの期間が短かった。
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