筋弛緩剤点滴事件とは

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筋弛緩剤点滴事件


筋弛緩剤点滴事件(きんしかんざいてんてきじけん)は、2000年(平成12年)に宮城県仙台市泉区のクリニックで起きた患者殺傷事件。北陵クリニック事件、仙台筋弛緩剤事件等ともよばれる。

事件の概要

1999年から2000年までの間に宮城県仙台市のクリニックで不審な急変から死亡した事例が20人に上る事件が発生。その事件で同クリニックに勤務していた准看護師の守大助(もり だいすけ、1971年4月28日 - )が勤務し始めた時期と符合した。2000年10月31日に入院した当時11歳の女児に対して抗生剤を点滴する処置を取ったが容態が急変。女児は病院を転送され一命は取りとめたが、脳に障害が残り植物状態になった。女児の血液を採血し分析した結果、筋弛緩剤の成分が検出された(なお、この女性は現在に至るまで意識が戻っていない)。

病院側は守が担当する患者に容態が急変し重態したり死亡したりする事例が目立ったため不審を抱く。12月4日、私物を取りに病院へ行った守は廃棄物を処理するために箱を廃棄小屋に捨てようとした際、私服警官に呼び止められた。赤い箱の中身を点検すると筋弛緩剤の空アンプルが見つかり、更に筋弛緩剤の在庫を確認したところ守が20アンプルを発注する一方で23アンプルが使途不明だったことが判明。1件の殺人と4件の殺人未遂の被疑事実で、守が逮捕された。いずれも点滴液へ筋弛緩剤を混入して窒息死させようとしたとの被疑事実。筋弛緩剤とは脳からの信号を遮断して、筋肉の動きを弱める薬で、人工呼吸器を着けずに投与し呼吸不全を引き起こしたとした。


容疑者は無罪を主張しているほか、診療録の検証を行った長崎大学大学院教授で神経内科専門医の池田正行らは冤罪であるとしている。


事件現場となったクリニックは2002年3月31日に閉鎖となった。

出典:筋弛緩剤点滴事件 - Yourpedia

	

すでに北陵クリニックはなく別の病院になっている

			

容疑


仙台地方検察庁は1人への殺人事件と4人の殺人未遂事件として守を起訴した。

2000年2月2日 - 女児(当時1歳)を重態に至らせた容疑。


2000年10月31日 - 女児(当時11歳)に筋弛緩剤を混入させ植物状態に至らせた容疑。


2000年11月13日 - 男児(当時4歳)に筋弛緩剤を混入して重態に至らしめた容疑。

2000年11月24日 - 女性(当時89歳)に筋弛緩剤を注射針で刺して混入し殺害した容疑。


2000年11月24日 - 男性(当時45歳)に筋弛緩剤混入の抗生剤を混入させ呼吸困難に至らしめた容疑。

出典:筋弛緩剤点滴事件 - Yourpedia

	

事件の現場となった北陵クリニックとはどんな病院だったか


北綾クリニックは、平成3年 (1991年)10月、淺野宮城県知事が「先端医療技術の開発と医療福祉産業の振興」に貢献すると絶賛し、地元財界の名士(東北電力・宮城県と仙台市の医師会・地元銀行・新聞社)が理事に名を連ねて「医療法人・社団陵泉会北陵クリニック」として設立された。FESとは、「機能的電気刺激」という先端医療で、脳卒中や交通事故、脳性麻痺などで手足に運動障害をもつ患者の患部を電気刺激で動かそうとする治療法で、東北大学工学部と医学部が中心になって開発された治療法です。その中心にいたのが半田康延工学部教授ですが、臨床医療行為は大学では出来ないためFES研究を実践に移す病院として開設されたものです。半田教授は、半田郁子副院長の夫で、実質的な経営者です。FESの実施病院としての北綾クリニックは、一方で地域医療にも応じるため、小児科、内科、整形外科さらに特別養護老人ホームと提携して老人医療なども行っていました。

出典:

	

冤罪である可能性が高い「仙台筋弛緩剤点滴殺人事件」

「筋弛緩剤点滴殺人」容疑で逮捕された守被告については、各種メディアが医療従事者にあるまじき極非道な人物として報道していたが、テレビ朝日の「ザ・スクープ」は、当初より疑念を提示し、冤罪である可能性が高いという立場で取材報道を展開してきた。

「仙台筋弛緩剤点滴殺人事件」の概略は、仙台市にある北陵クリニックで、昨年秋(数年来病状悪化や死亡者が多いということでそれらも疑いの対象となっている)、下山雪子さん(89)が死亡(11月24日)したり、その他数名も重態に陥るということが発生し、捜査の結果、当クリニックに看護士として勤務していた守被告が点滴薬剤のなかに筋弛緩剤(マスキュラックス)を意図的に混入したことによるものと断定され、正月早々逮捕されたというものである。

北陵クリニックは半田郁子副院長がオーナーで、その配偶者は東北大学医学部の半田教授である。半田教授は、週に数回クリニックで診療を行い、実質的なオーナーだとされているようだ。


以下は、その放送をまとめたものである。

● 北陵クリニックの当時院長二階堂氏へのインタビュー内容


  守被告が殺人罪に問われている下山さんの死亡に至る病状について、「心筋梗塞で特徴的に見られる症状で、筋弛緩剤であればありえない自立呼吸の復活があった。私がそう言っても、警察は、点滴から筋弛緩剤が出たんだ、出たんだ、モノ(物証)があるんだと言って取り合ってくれなかった」と語った。


● 警察の鑑定結果に関する疑問


  筋弛緩剤が混入されたとされる点滴の残り薬剤や患者の血液そして患者の尿などが、大阪府警科学捜査研究所で土橋技官を中心として鑑定された。

  残り薬剤に混入されていた筋弛緩剤の割合から、それぞれの事犯について使用された筋弛緩剤の量が推定された。

  問題は血液鑑定で、被害患者の血液中筋弛緩剤濃度は、筋弛緩剤を静脈注射で一気に投入したときに測定できるであろう値が示されていた。(一例をあげると、一定時間後に16.5ng/mlと、医学論文で既出の値とまったく同じ値が示されていた)

  点滴の場合は、体内に投入された筋弛緩剤が代謝によって徐々になくなるため、そのような値になるはずがないというのが医学界の通説だとのこと。


  また、10月31日に吐き気で入院し点滴を受けていたA子さん(11歳)は、容態が急変し、母親がそれに気づくと「目が変、ものが二重に見える。のどが渇いた。渇いた」と訴えた。幸い死亡には至らなかったが、1週間後に尿を採取され、それも同じ科学捜査研究所で鑑定された。その結果、尿中に筋弛緩剤が2.5ng/mlの濃度で検出されたという。(裁判に鑑定書として提出済み)

  しかし、筋弛緩剤は代謝されるので1週間後の尿から検出されるわけがないというのが医学界の定説だとのこと。(「ザ・スクープ」はこの件で全国50件ほどの病院麻酔科にアンケートを実施し、検出されるだろうと言う回答が1件もなかったことを示していた)麻酔科の医師は、「筋弛緩剤が体内にそんなに長く残るのなら、麻酔に安心して使えない」と話していた。


● 証拠の残りの点滴薬剤に対する疑念


  今回の事件で証拠の一つとなっている残った点滴は、すべて副院長である半田郁子医師が点滴装置から外して持ち出した。(裁判証言)

  証言の一例として、「夫が目で合図、ボトルに目を向けたので、まわりが見ていないのを見計らって取り外し、白衣のポケットに入れて持ち出した」

  (このようなかたちで犯罪現場から持ち去られたものは証拠性がなくなってしまうものである。いくらでも、手を加えられるモンね。)


● 物証である鑑定試料はすべてなくなっている


  大阪府警科学捜査研究所の鑑定人土橋氏は、弁護士から再鑑定を申請されると、点滴残薬剤・血液・尿などは、「幅広い毒物を検出しようとしたため、全部使い切った」と法廷で答えた。

  0.1mlで筋弛緩剤の濃度は検出できるそうで、数百種類の“毒物”を検出しようとしたことになるそうだ。


● 鑑定書に関する疑念


  弁護士が5月の証拠開示段階でA子さんの鑑定書をコピーしたときにはなかった鑑定人の印鑑が、法廷で証拠採用された段階では押印がなされていた。

  土橋鑑定人は、法廷で、「鑑定書を書き上げた1月19日に押印した」と証言した。

  検察は、コピーが悪かったので、陰影がコピーされなかったのではないかと主張している。両方のコピーを映像で流していたが、写りが悪いというものではなくまったくなかった。両方に押されていた割印は、ちゃんと両方の鑑定書コピーに写し出されていた。

出典:「仙台筋弛緩剤点滴殺人事件」の“でっち上げ”追及 [テレビ...

	

守大助被告


守大助被告

			
「ちょつぴり臆病で、気が小さく優しい割には、人一倍正義感が強いところがあります。友達も男女問わず多く、家にもよく連れてきて将来の夢を語っておりました。半田教授の夢を自分の夢のごとく共有し努力していた息子が何で患者さんを殺めるのでしょうか。絶対にありません。」

(大助さんのお父さん)


明るく何時も冗談を言って周りの人を笑わせる反面、寂しがりやで諦めやすい性格です。絶対、人様を殺めるような子ではありません。」

(大助さんのお母さん)


あの気の優しい彼があのような事を絶対するはずがないし出来ません。父親の後ろ姿を見て育った彼です。人が良すぎたのが災いを呼んだのか、命を助ける仕事に誇りを持ってた彼です。僕達は彼を絶対信じてます。

(小中同級生)


あなたの力を待ってる人がいるんです。まだまだあなたは役に立つ人間なのです。そんな所にいないで、社会のために前向きに役立つ努力しましょう。無実の青年を権力に負けて人権を台無しにしたくない怒りでいっぱいです。自分の息子のように悔しい思いはしたくない。

(元入院患者の母親)

出典:

	

裁判


守は逮捕直後の取調べで犯行を自供したものの、3日後から犯行否認に転じた。守は2001年7月11日の裁判開始後、一貫して無実を主張している。

検察は救命措置などで評価が高かった守は待遇面で優遇されるだろうと期待していたが資格と経験年数相応の待遇だったことに不満を持ち、容態急変場面を作り出して、得意な救急措置を活かして活躍したかったことを動機として主張した。


弁護団は筋弛緩剤が混入されて数日後に血液から大量の筋弛緩剤が検出されることはありえないとする医学的観点から、患者に筋弛緩剤が投与された事実は存在しない、5人の被害者の容体急変は個人による意図的犯罪によるものではないとして無罪と主張。また被害者の血液鑑定書は血液のサンプルを全部使ってしまったため再鑑定できない状況にあることで捜査当局の捏造疑惑があるとして無罪主張を補強した。


2004年3月30日、仙台地裁は守に無期懲役の判決を言い渡す。弁護側は即日控訴した。


2005年6月15日に仙台高等裁判所で開始された控訴審で、弁護側は有罪判決を支えた鑑定結果の証拠能力を崩すため、外国論文などを新たに提出し、裁判所による独自鑑定や、点滴混入時の薬効を調べるコンピューター解析などを請求。しかし、裁判所が必要性がないとして請求を却下。弁護側は反発し2005年10月の第4回公判で抗議の途中退席をした。これに対し裁判所は弁護を放棄したとして審理を打ち切り、弁護人不在のまま判決期日を宣告。2006年3月22日、高裁判決日に弁護側が弁論の再開を申し立てたが、裁判長は弁論する意思を放棄したとして却下して、主文を後回しにして朗読を始める。弁護団はこれに抗議し、声を荒らげたため、裁判所は不規則発言を繰り返したとして弁護人4人に退廷を命じた。また判決理由朗読に対して被告人の守も声を荒らげたため、守も退廷させられ、被告人と弁護人が退廷させられたまま控訴棄却判決が言い渡される異例な事態となった。


2008年2月25日、最高裁判所は守の上告を棄却。無期懲役が確定した。


守は現在、千葉刑務所に収監されている。2012年2月10日に仙台地裁に再審請求を行ったが、2014年に棄却。弁護側は仙台高裁に即時抗告したが、2018年2月28日、即時抗告は棄却された。弁護側は同年3月5日付けで決定を不服として最高裁に特別抗告を申し立てた。


植物状態の女児の家族はクリニックと守に対し、損害賠償の民事訴訟を提訴。2004年3月31日に女児の家族とクリニックは和解で合意した。一方、守に対する民事訴訟で仙台地裁は、2008年5月27日に不作為を認め、被害者家族へ5000万円の支払いを命じ、2009年9月18日に最高裁判決として確定した。現在、返還請求中。

出典:筋弛緩剤点滴事件 - Wikipedia

	

拘置所にいる守被告の状況

トイレ部分を除くと長さ175cmの独房で、守被告がやっと寝ることが出来る広さ。そして、天井には“24時間稼働の監視カメラと集音マイク”が設置されており、トイレを含めすべてを監視される状態に置かれているそうだ。

こういった状況で精神的にメゲテいるという守被告の手紙や日記が紹介されていた。

  守被告の弁護士は、拘置所は理由をまともに答えてくれないが、おそらく、自殺や自傷を防ぐと言いたいのだろう。しかし、本音は、守被告の“戦闘意欲”を削ぎたいのではないかと話していた。

出典:「仙台筋弛緩剤点滴殺人事件」の“でっち上げ”追及 [テレビ...

	

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Sharetube