山形一家3人殺傷事件の「伊藤嘉信」とは

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山形一家3人殺傷事件

山形一家3人殺傷事件(やまがたいっか3にんさっしょうじけん)とは2006年5月7日に山形県西置賜郡飯豊町のカメラ店で起こった一家3人殺傷事件である。被害者の一人の行動に怨みを抱いた末の犯行であったが、その内容が加害者が被害者の一人に性的暴行を受けていたというものであったため、様々な疑問が提示された。


事件の経緯

この事件は5月7日午前3時55分頃、山形県飯豊町の田園地帯の民家に男性が突入し、カメラ店経営の一家3人を襲った事件である。父親・伊藤信吉(当時60歳)と長男覚(当時27歳)が死亡し、母親・秀子(当時54歳)も脳挫傷の重傷を負った。秀子は「お父さんが殺される。助けて」と119番通報をする。秀子には襲撃される心当たりがなく、当初「理由はまったく分からない」と話していた。犯行後の午前10時、現場から数百メートル離れた山林の神社の軒下で右手に血がついたまま座っている男性を発見し、一家殺傷の犯行を認めたため殺人容疑で一家の遠縁の親戚の男性(当時24歳)が逮捕された。

殺人の容疑で逮捕された男性は5月7日は憔悴が激しかったが、5月8日は午前6時半に起床し朝食を取った。男性は覚に恨みがあったと話したが、夫婦の寝室に入ったのは夫婦の寝室だとは知らなかったためと供述した。男性は5月7日夜の取り調べで「長年の恨みがあり、犯行は7日に行うと決めていた」と供述していた。だが、この恨みを抱いた内容が公に発表されると様々な意味で激しい波紋が広まった。犯人の男性は「(少年の頃に覚から)性的なことを強要されたことで、身体的な変調を来し、(犯行を)抑えられなかった」と供述したのであった。男性が覚に性被害を受けたのは小学4年の話だった。実際、覚の顔だけに執拗に殴った大きな傷があることも判明した。弁護側など一部ではPTSD説もあったのだが、精神鑑定は地裁が却下した。


被告の男性の一家と覚の一家は遠縁の親戚同士であり男性と覚は幼馴染であった。犯人の男性は、年明けに覚が結婚する事を知り、小学校時代の性的いじめ(虐待)に対する報復として犯行を決意した。覚には婚約者がおり、10月にはハワイで挙式する予定であった。信吉と秀子に関しては殺意を否定し、悪い事をしたという証言も出た。凶器は「ブラックニンジャソード」と呼ばれる特殊な刃物であった。形状は刃渡り約45センチで全長約70センチ、柄が約25センチの両刃の刃物であった。調べに対し被告の男性は「数年前に東京の専門学校に通っていた時に買った」とこの刃物の入手経路を供述した。

出典:山形一家3人殺傷事件 - Yourpedia

	

裁判焦点

2008年10月30日の控訴審初公判で、検察側は、一審判決で伊藤被告が幼少期に長男から受けた性的暴行が犯行動機と認定されたことについて「被告の反社会的な人格が原因で、仕事や女性との関係などがうまくいかないことを、性的暴行に責任転嫁した筋違いの怨恨が動機」と指摘。一審が認定した「PTSDの疑いのある症状」もなかったと主張し、「PTSDではない」とする精神科医や心理学者の鑑定結果を示した。そして被告人には死刑を適用せざる得ない」などとして一審判決の破棄を求めた。た。一方弁護側は、PTSDを肯定し、性的暴行が原因と指摘。「被告はPTSDにより是非を弁別する能力は失われていたか低下しており、心神喪失、少なくとも心神耗弱が認められるべき」として、無罪または刑の減軽を主張した。

 12月22日の公判で、被告の母親への証人尋問で、犯行の背景や動機とされる「被告が幼少時に受けた性的暴行」の存在を示唆した。母親は伊藤被告が小学4年当時、殺害された長男から少なくとも3回、電話で呼び出されたと証言。「最初の呼び出し後に帰宅した際、泣きながら水道水で口をゆすいでいた。その後、明るく活発だった息子が家にいるようになった」と話した。

 2009年1月15日の公判における被告人質問で伊藤被告は、幼少期に受けた性的暴行の影響で今も体に変調を来すと供述した。

 2月18日の公判で志田洋裁判長は、伊藤被告の精神鑑定の実施を検討する意向を示し、検察、弁護側の双方に賛否の意見を出すよう要請した。5月15日の公判で、志田裁判長は職権で精神鑑定することを決めた。鑑定内容は▽嘉信被告の犯行時と現在の精神状態▽少年期の性的体験が犯行に及ぼした影響の有無とその程度-の2点。宮城県立精神医療センターの小高晃院長と同県精神保健福祉センターの小野善郎医師の2人が共同鑑定する。

 2010年2月19日の公判で精神鑑定の結果が報告され、嘉信被告は犯行当時、少年期に長男から受けたとされる性的暴行によって「心的外傷後ストレス障害(PTSD)に罹患していた」と認定し、犯行の基本的な要因とした。志田洋裁判長は鑑定書を証拠採用した。鑑定結果によると、嘉信被告は犯行時、PTSDが認められ、現在も継続しているとした。発症したのは中学生ごろ。東京都内の専門学校を卒業して帰郷した02年以降、症状が悪化するようになったとしている。実際に暴行を受けたのは小学4年なのに発症するまで時間がかかったのは「自分が受けた性的暴行の意味を理解したのが中学生ごろだったから」とした。さらに鑑定書では「犯行の基本的要因は少年期に受けた性的暴行」と認定した。その上で、自分が受けた行為の意味を認識してから暴行を受けたことがトラウマ(心的外傷)となり、恐怖と不安が次第に増幅。自尊心を傷つけた相手を排除しようとするなどの症状を抑える限界点を超えてしまったと説明した。証人尋問で嘉信被告を鑑定した医師は「PTSDが発症するのが暴行を受けた直後でなく、今回のように数年たってからということは一般的にあり得るのか」とする裁判官の質問に対し、幼児期に受けた性的虐待の被害者などの例を挙げ「思春期になって発症する例はある」と述べた。

 6月9日の公判で、検察側は再鑑定を要求。7月28日の公判で飯淵進裁判長は、再び精神鑑定を実施することを決めた。

2012年7月18日の公判で鑑定結果が報告され、「(嘉信被告が長男から受けた)性被害体験のフラッシュバックに続く激しい怒りの感情の爆発から引き起こされた」とし、「犯行時の被告は思考と行動が伴わないような状態(解離状態)だった」と結論付けた。この中で「(PTSDの罹患は)責任能力を減免するようなものではない」としながらも、「(量刑を決める)情状面での酌量を認める余地はあり得る」などとしている。鑑定を行った東京都の精神科医は証人尋問で「犯行時の『解離状態』はPTSDに随伴するものと理解できる。PTSDは怒りの制御に影響する。犯行の主な要因でないが、間接的には影響があったと言える」と述べた。検察側は「犯行時の被告はPTSDではなく、犯行は反社会的人格障害によるもの」と一貫して主張していたが、この点について精神科医は尋問で、「(反社会的人格障害とは)違う」と明確に否定した。

 9月18日の公判における被告人質問で伊藤嘉信被告は、写経をするなどして謝罪の念を深めていると語った。犯行動機とされる少年時に長男から受けた性的被害について「被害を受けたことに向き合い、受け止めることができるようになった。長男への憎しみやわだかまりはまだあるが、許すことが償いになると思う」と述べた。

 事件で大けがをした長男の母と弟の証人尋問では、2人とも心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされていることを明かし、母は「髪を振り乱し、襲いかかってきた被告は獣のようでした。(被告の)幼いころを知るわたしはつらいですが、死をもって償ってもらう以外、方法が見つかりません」と声を震わせた。弟は「極刑を望む。もし被告がPTSDで責任能力なしなどと判決が出れば、司法が(性的被害の)報復行為を認めると感じてしまう」と述べた。

 10月25日の最終弁論で検察側は「PTSD罹患は責任能力に影響を与えていない。鑑定結果からも、PTSDが犯行の直接の原因だとは結論づけられなかった。生来の反社会的な性格による犯行で、計画性もあった。矯正の余地は乏しい」と主張。「反省はなく、『殺意はなかった』と不合理な弁解を続けており、謝罪も通り一遍のもの。犯行態様は極めて悪質で、死刑に処することは誠にやむを得ない」と結論付けた。一方、弁護側は2度の精神鑑定でPTSDの罹患が認められ検察側が主張する「反社会的人格障害」が明確に否定された点を強調。性被害のフラッシュバックが引き金となった突発的な犯行で、怒りの制御が完全にできなくなった心神耗弱状態で責任能力は限定的だったと主張し、「被告人は生きて償うべき」と有期懲役を求めた。

 判決は2回の精神鑑定結果を基に、伊藤被告が小学4年のころ何度も性的暴行を受け、その意味が中学生になって分かりPTSDを発症したと認定。「PTSDの影響を考えれば、明らかな逆恨みに基づく犯行とは認めがたい。動機には酌むべき余地がある」とした。検察側が控訴趣意書で強調した「反社会的人格障害ゆえの犯行」という主張は、否定した。しかし犯行自体は、事前に刃物を用意するなど合理的に行動していることなどから、「PTSDが犯行に与えた影響は間接的かつ限定的で事件時は完全責任能力があった。刑事責任は重大」と判断した。

出典:????????????X?g?@2013?N?x

	

備考


殺害された男性らの遺族は、伊藤嘉信被告と両親を相手取り、約3億4000万円の損害賠償を求めた。2009年1月27日、山形地裁(片瀬敏寿裁判長)は、伊藤嘉信被告に約2億7360万円の支払いを命じた一方、「刑事事件の公判廷において、両親にも責任があることを認める趣旨の証言を行ったからといって、嘉信被告の損害賠償債務について引き受けの意思表示をしたものとまでは解せない」として嘉信被告の両親に対する請求は棄却した。被告側は「両親が、農地を売却して得た600万円を被害者に受け取ってもらいたいとしている」と話しており、控訴はしない方針。

 2007年5月23日、山形地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。被告側は上告した。検察側は上告せず。2013年5月10日、被告側上告取り下げ、確定。

出典:????????????X?g?@2013?N?x

	

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