<おそロシア>50人以上を殺害したアレクサンドル・ピチュシキン
アレクサンドル・ピチュシキン
アレクサンドル・ユーリエビッチ・ピチュシキン (ロシア語: Алекса́ндр Ю́рьевич Пичу́шкин、Alexander Pichushkin、 1974年4月9日 - )はロシアのモスクワ州ムィチーシチ出身の連続殺人犯。スーパーの従業員だった。マスコミなどからは ビツァの狂人 ( Bitsa Maniac)や チェスボード・キラー ( Chessboard Killer )などと呼ばれている。彼はモスクワの南西にあるビツァ公園で少なくとも48人、推定で61人から63人を殺害したとされており同公園から犠牲者の死体が見つかっている。
事件概要
ピチュシキンは1974年4月9日にモスクワ州ムィティシに生まれた。幼い頃は社交的だったらしいが、事故で頭を打ってから激しい感情や攻撃性のコントロールが苦手になったという。
彼は学習障害のある子供のための学校に通ったが、普通の子供達からは「retard(馬鹿、愚か者の意)」と呼ばれいじめを受けた。
一方で、祖父は彼が高い知能を持っていることに気づいた。
学校ではその才能が無駄にされると考えた祖父は、ピチュシキンを自宅に連れ帰り教育を施した。
そこで彼はチェスに熱中するようになり、めきめきと腕を上げ、ビツァ公園で行われるチェス大会に参加するようになった。
相変わらずいじめを受けていたが、彼は自分なりに社会参加する術を見つけていた。
しかし、祖父の死で状況は再び悪い方へと変化してしまった。
母親の家に戻ることを強いられ、祖父の死に打ちのめされた彼は、やがて大量のウォッカを飲むようになった。
酒浸りになりつつチェスを打っていた彼は、やがて邪悪な考えにとりつかれるようになった。
1992年、ピチュシキンは最初の事件を起こした。
彼のターゲットは主にホームレスだった。
被害者にウォッカを勧めて酔わせた後、ハンマーでその頭を砕き、最後にはウォッカのボトルを突き刺してとどめを刺していた。
当初は年配者を狙っていたが、やがて子供や年若い男女もその対象となっていった。
死体は公園の下水道に流していた。
最後の犯行は2006年春のことだった。被害者は36歳の女性で、彼女の持っていた地下鉄の切符が事件解決の糸口となった。
地下鉄の防犯カメラに被害者と一緒に歩くピチュシキンが映っていたのだ。
かくして2006年6月15日、ピチュシキンは逮捕された。
彼は自分が生きるために人を殺したと語った。人を殺す時、自分が神であるかのように感じたという。
更にはチェスボードのマス目と同じ64人殺すつもりだったと供述した。
もっともその後、逮捕されなかったらもっと沢山殺しただろうとも語っている。
メディアはピチュシキンがロシアの最も悪名高いシリアルキラーのアンドレイ・チカチーロに対して歪んだ競争心を持っており
それが1992年からの12年間で子供や若い女性を含む52人を殺したとされ有罪判決を受けるまでになった動機だと書いている
出典:黒い天使が舞い降りた : ロシア モスクワ ビツァ公園の変質者=アレキサンダー・ピチュシキンАлекса́ндр Пичу́шкин
ロシアで52人の女子供を殺害した「アンドレイ・チカチーロ」とは
http://sharetube.jp/article/6125/
アンドレイ・チカチーロ アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ(ロシア語:Андрей Романович Чикати́ло;ラテン文字表記の例:Andrey Romanovich Chikatilo;チカティロ、チカテ...
終身刑
【10月30日 AFP】48人を殺害したとされる「チェスボード・キラー(chessboard killer)」ことアレクサンダー・ピチュシキン(Alexander Pichushkin)被告(33)の公判で、モスクワ(Moscow)市の裁判所は29日、被告に終身刑を言い渡した。黒とグレーの衣服を着て出廷したピチュシキン被告は、裁判官から判決を理解できるかと問われると、「耳は聞こえている」と返答。チェスのマスと同数の64人の殺害を計画していたピチュシキン被告は、伏し目がちに判決文が読み上げられるのを聞きながら、笑みを浮かべているようにも見えた。
裁判官は、被告は「自身が犯した罪の残忍性を認識していた」として、終身刑に加え精神病療法を命じた。
前週には、48人の殺人と3人の殺人未遂について10週間の審理を行っていた陪審員により有罪の評決が下されていた。ただし、警察はさらに同被告が11人を殺害した疑いがあるとして捜査している。ロシアは現在、一時的に死刑を停止しているため、終身刑が最重刑となる。
懲役25年を要求していた弁護側は同日、控訴する可能性については未定であるとした。
ピチュシキン被告に反省の色はなく、お手本とする旧ソ連時代の最も残忍な殺人犯アンドレイ・チカチーロ(Andrei Chikatilo)が殺害した52人を越える63人を殺害したと誇らしげに主張している。
ロシアの連続殺人事件の被告、「殺人は愛と似ている」と証言
[モスクワ 9日 ロイター] 49人を殺害した罪に問われているロシア人の男が9日、犠牲者の数をさらに11人追加するよう裁判所に求めた。また、18歳で最初の殺人を犯した際の心境について、初めて恋に落ちたようだったなどと陪審員に語った。スーパーの店員だったアレクサンダー・ピチュシキン被告(33)は、殺人を犯すたびに64マスあるチェスボードにコインを置いていたことから、地元紙では「チェスボードの殺人者」と呼ばれている。
同被告は「最初の殺人は初恋のようなもの。決して忘れることはない」と発言。「(被害者が)自分と親しくよく知っている人物であるほど殺害の喜びが深まる」と述べ、すべての殺人の動機が生きるためだったと主張した。
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