【知ってる?】韓国の忌まわしき風習

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はじめに

これから紹介するのは、韓国の今は亡き忌まわしき風習である。


人権などは一切無い時代の記録を紹介していこう…。

試し腹

父親が自分の娘が妊娠できるかを確認する為に、性行為をして孕ませる行為。


昔の朝鮮では 父親の権利が絶対だそう。


女は女房でも 娘でも奴隷扱いであった。


嫁に出す娘が、確かに“妊娠できる事”を証明するために親兄弟で強姦して妊娠した状態で嫁に出す。


生まれる子供は奴隷身分。

大人まで生き延びる確率も少なかった。


生まれてこなければ良かったとの苦しみの一生を過ごすことになる。


「女は子を産む道具でしかない」


朝鮮では、

「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。


故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、

「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。


これを「試し腹」と言う。

産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなかった。


結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だったと言われている。


自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて

嫁がせる儒教思想が暴走した悪しき習慣だったそうだ。


この風習は、旧日本軍の統治時代に禁止された。

現在でも…

全米で3年間常習的に姪を性暴行した30代韓人男性が警察に逮捕され大ニュースとなる。


韓国の風習「試し腹」が衝撃を与えた中で、米国の韓人家庭内での性暴行が蔓延していることがまた明らかになった。


ニューヨークで今年に入って家庭内性暴行の90%は韓国人家庭で韓国の親戚友人などの知り合いによって子供が集団で日常的に性暴行されたものであった。


韓国の子供は「家族たちと親戚の家に遊びに行ったら同じ歳の男児から、また一緒に暮らす伯父や叔父や、隣家の大人や男子達や、韓国の幼稚園園長などによる性暴行が日常化していた」として、「幼い子供達のほとんどが試し腹されていた」と全米が報じた。


全米にいる韓国人の子供達は、韓国人の大人はポルノを見ながら子供に「試し腹」の性暴行が日常的に起きていた。


クイーンズ検察によればクイーンズに居住する韓国人男性(43)は7年間も10代の姪を「試し腹」性暴行を続け、去年10月に事件発生10年目に児童安全危害と2級児童性犯罪の疑いで警察に逮捕された。 

奴隷制度

奴婢(ぬひ)は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。


彼等は、はただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても 犯しても売り飛ばしても、

果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。


それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。


奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。


外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、 売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかった。


韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。


局部に石や棒切れをさしこまれているのは、言うまでもなく主人の玩具になった末に

奥方に殺された不幸な運命の主人公であっ

った…。

奴隷は家畜以下の扱いを受けていた。
性を売る女奴隷の待遇は他の奴隷に比べるとまだまだましであった…。

身分制度

この時代(1392年―1910年(ただし、1897年からは「大韓帝国」であったが、実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを継承した。


身分は、大きく「良民」と「賤民」に分かれる。


「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負った。


さらに、

「両班(文班、武班)」、

「中人(下級役人、技術官など)」、

「常民(農民、商人、職人)」

に分けられた。


「賤民」は「奴隷―奴婢」と「白丁(ペクチョン)(動物の屠殺に従事する者)」、


「才人(広大ともいう)(芸人)」、

「官妓(役所に所属する酌婦)」、

「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、

「砲手(猟師)」、

「水尺(スチョク)(狩猟民)」、

「駅卒(駅の使用人)」、

「巫女」、

「僧侶」など多岐にわたっていた。


「奴婢」は「公奴婢―国家に所属するもの」と「私奴婢―個人に所属するもの」に分けられていた。


さらに奴婢は

「公奴婢」、「私奴婢」があり、

「入役奴婢」と「納貢奴婢」とがあった。


「入役奴婢」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならない。

「納貢奴婢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。


奴婢は売買、贈与、相続の対象となり、財物として扱われていた。


父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。


「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり、

「奴婢」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、極めてまれで身分間の移動はなかった。


豊臣秀吉の朝鮮征伐(文禄の役(1592年―朝鮮では壬辰倭乱(イムジンウェラン)・慶長の役(1596年―朝鮮では丁酉再乱(チョンユウチェラン))のときに、

ソウルの王宮(景福宮)が放火され炎上したが、これは日本軍のものではなく(朝鮮では日本軍が放火したと捏造している)、

奴婢が登録簿を滅失させるために行ったものである。


日本の名誉のために当時の文書から引用する。

「城中を観望すれば、火起こりて煙焔天に漲る。

蓋し乱民先ず、堂隷院刑曹を焚く。その公私奴婢の文籍在る所を以ってなり・・・・」

(朝鮮史第四編第九巻宣王25年4月30日)。


奴婢制度は、1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた。


しかし、なかなかその偏見は収まらず、

現在でも「五姓」といって賎民の子孫とされる「姓」があり、結婚・就職などの障害が見られる。

両班の行い

「半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。

その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄されてしまった。


食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。


両班の中で最も正直な者たちも、

多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。


なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、未だかつて、ないからである。


彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。


しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」

終わりに

様々な写真をご覧頂いたが、読者はどう感じたのだろうか。


同じ生を受けた人間同士とは到底思えない扱いだったと思われたのではないか。


現在では、北朝鮮より韓国は発展しているが、朝鮮戦争が休戦直後は北朝鮮の方が国の豊かさは上だった。


韓国はこのような歴史的背景が存在することによって、今日に到ったのである。


大統領の不祥事での退任、韓国国内の経済格差を考える理由の一つとして身分格差は結びつけることが出来るだろう…。


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猫好きは見るべし…。
鍛冶屋現る…w
案外、苦労人だった…。
カタツムリ系は注意…。

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Sharetube