三郷市逮捕監禁致傷事件の「神作譲(小倉譲)」とは
三郷市逮捕監禁致傷事件
三郷市逮捕監禁致傷事件(みさとしたいほかんきんちしょうじけん)とは、女子高生コンクリート詰め殺人事件の準主犯格だった男が、出所後に暴行・監禁を行った事件(事件後に姓を変えていた)。
1988年に神作譲(小倉譲)が起こした女子高生コンクリート詰め殺人事件とは
女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌【史上最悪な殺人事件】 - NA...
http://matome.naver.jp/odai/2135216420298176301
女子高生コンクリート詰め殺人事件とは1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、ホテルに連れ込み強姦した。その後...
神作譲(当時小倉譲)
女子高生コンクリート詰め殺人事件の判決
加害者4名が刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。準主犯格と見られる小倉譲には懲役5年以上10年以下(求刑懲役13年)の不定期刑を言い渡した。
神作被告の出所後
女子高生コンクリート詰め殺人事件で少年刑務所に収容されていたが、1999年8月3日に出所
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」(ホステス)。
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」(ホステス)。
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。
神作譲語録
●オレは人を殺したことがあるんだぞ、本当に殺すぞ。●オレは10年間懲役を受けてきて、そこで警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出て来られる。
●アレはマジで楽しかったなあ。
●サブリーダーとか言ってるが、オレこそ本当の主犯なんだよ。
神作譲(小倉譲)が再犯! 三郷市逮捕監禁致傷事件とは
その「逮捕監禁致傷事件」が発覚したのは、顔に大きな青アザを作った若い男が、5月19日の昼間、足立区にある竹の塚警察署に駆け込んできたからだった。男性は足立区内に住む花屋に勤めている27歳の店員。彼の供述によれば、顔見知りの男に因縁をつけられて、午前2時ごろから朝の7時ごろまで5時間もの間、監禁され、暴行を受け続けたのだという。
警察関係者がいう。
「事情を聞くと、見も知らぬ女性のことで、知人のチンピラから絡まれたということでした。車のトランクの中に監禁されて、埼玉県三郷市のスナックに連れて行かれ、ボコボコに殴られたのです。怪我の具合は全泊10日ほどでした。驚いたのは、被害者がその犯人は16年前、足立区の綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の1人だと証言したからです」
確かに、この花屋の店員が証言した通り、事件の犯人、神作譲という33歳の男を調べると、彼は16年前、女子高生を監禁し、殺害した4人の犯人グループの1人だったのである。
当時、17歳の神作がコンクリート詰め殺人でどのような役割を果たしていたのかを見る前に、まずは、今回、起きた逮捕監禁致傷事件の顛末をご紹介しよう。
被害者の知人の1人が説明する。
「神作は、被害者が働いていたフラワーショップの社長の知人の若い衆だったのかな。6~7カ月前に、その社長の知人が店に来たとき、一緒に付いて来ていたんです。身長は190センチ近いがっちりした大男で、一見して、その筋の人という雰囲気があった。たまたま、店で働いていた被害者と顔見知りになっちゃったわけです」
その場で意気投合したということでもなかったが、それ以降は、道で顔を合わせれば挨拶をする程度の間柄になったのだそうだ。ところが、なぜか今年の春先、突如、神作が被害者の男性に急接近したのである。ここから先は、被害者自身に語ってもらおう。
「時々、撲の携帯に電話が掛かってきていたんですが今年の3月か4月ごろに、突然、夜中の2時に、僕のマンションを訪ねてきて、ズカズカと上がりこんでしばらく世間話をして帰っていきました。ところが30分くらいすると、また来て、〝俺の財布がなくなった″って言いながら、勝手にたんすやクローゼットを開けて僕の部屋を家捜しするんです。〝財布がねーんだよっ、どこを捜してもねーんだよっ″とか言いながら……。でも、断ることもできなくて……」
こんな傍若無人な態度に文句一つ言えなかったのは、神作の外見を怖れたからだけではなかったという。
「実は、彼が頻繁に家に来るようになって、話をしてると、あるとき、突然、〝俺はなあー、少年のとき10年もムショに入ったんだよー″って、軽い調子で、言い出すんですよ。怖くて、〝何の事件ですか〟、とも聞けないでいると、自分から〝綾瀬のコンクリート詰め殺人って知ってるだろ。あれだよ″って、ニヤニヤ笑いながら……。女子高生を押さえつけて髪を切ったことや、死んでしまったときのことなんかも、〝タバコに火をつけてさ、その煙を、その子の鼻の下に近づけても、息をしてなかったんだよ″とか〝遺体をこんな感じで、ドラム缶に入れてさ、コンクリを詰めこんで……″と、事件をまるで笑い話のようにして身振り手振りで自慢するわけです」
花屋の店員は、恐ろしくなって、以後、電話に出るのを避けるようになったが、それが却って、彼を怒らせてしまった。
「5月18日、電話に出ると〝仕事が終わったら、電話よこせ、俺の女を盗ったろ。ヤクザをなめんなよ″って脅かされました。その日は夜が遅くて、家に着いたのが夜中の2時ごろだったんですが、マンションの玄関前に白いセルシオが停まっていて、神作が降りてきた。こっちから挨拶をするといきなり、右手のコプシで5、6発、顔面を殴られて、倒れると〝殺してやろうか、なめんなよ″って……」
被害者がさらに恐怖の体験を続ける。
「そのうち、金属バットを持ち出してきて、〝トランクに入れ″って命令されて、さらわれるのも怖かったけど、もう言うことを聞くしかなくて……。で、30~40分走って、埼玉県の三郷のスナックの前で車から降ろされたんです。彼がスナックの扉の鍵を開けて、中に入れられ、内側から鍵をしめられてしまった」
生きた心地のしない被害者に対して、神作は、
「おまえ、細面の170センチくらいの女だよ、知ってるだろ」
と、殴り続けた。心当たりがなく、訳がわからぬまま被害者は、
「すいません」
と、平謝りするしかなかったのだそうだ。
結局、スナックから解放されたのは夜が別けた午前7時。それも嫌疑が晴れたからではなく、神作が、殴り疲れたのがその理由だったのである。
狂気とすら思える暴力を振るった神作の暮らし振りはどんなものだったのか。
近所の住人によれば、
「金髪っていうよりも真っ黄色に髪の毛を染めてたね。最近までお母さんと2人で、一軒家の2階に住んでいて、1階で焼肉屋を経営していたのですが、もう一軒、お母さんがやっていたスナックが忙しくなったそうで、焼肉屋の方は閉店したんです」
別の知人は、
「暴力団の事務所にも出入りをしていましたけど、正式な組員ではなかったようです。浅草の三社祭りには、よく参加していました」
むろん、近所は神作の忌まわしい過去については全く知らなかった。
再犯までの流れ
出典:EZBBS.NET
小倉譲の足取り、平成一年から平成16年再犯するまで
裁判
2004年6月4日、竹の塚署に逮捕される。調べに対し「ちょっとやりすぎた」と供述。東京地検は6月25日、逮捕監禁致傷罪で起訴。2004年7月28日、初公判が開かれた。2005年3月1日、懲役4年の判決。判決では「更生が期待されながら犯行に及んだ事は社会に大きな影響を与えた」と社会に与えた影響を指摘。裁判長は犯人に「責任を果たしたら今度こそ本当の意味での再出発を期待しています」と説諭した。5月13日に東京高裁への控訴を取り下げ懲役4年が確定。
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